『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!』という本で、幸せの一端が見えたかもしれない話

 苫米地英人さんの著作です。

「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!

「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!

Amazon

 ちょっと胡散臭さがある内容ですが・・・幸せに生きるための方法についてちょっと考えが深まるような記述がありましたのでご紹介します。

 

本書のなかで、時間の捉え方を変えるという話があります。過去が未来を決めるのではなく、未来が過去を決めるというものです。

これはなんの本だったでしょうか、未来の出来事が今や過去の解釈を変えるという描写がある小説がありました。本屋大賞とかの本を漁ってるときに出会った本だったような気がします。今回、この言葉を見つけて、それに近いものを感じました。


この言葉、ごくかいつまんで言えば、次のような感じでしょうか。
「未来が良ければ、その基準で過去の解釈は良いものに変わる」

コレ自体、突き詰めるといろんなツッコミがあるのかもしれませんが、一度ここでは真理だと仮定してみましょう。
今が辛くても、未来に成功すれば、辛かった時期もこの成功のためにあったと思えるのかもしれませんね。
しかし、うまくいった未来の先に、大失態をするような未来があったとしたらどうなるでしょうか。その大失態を基準に、成功した未来の解釈も悪いものに変わるのかもしれません。
そんなことを考えていくと、延々と出来事の解釈は保留されていき、最終点にまで行き着くのは当然の帰結でしょう。

人生の最後といえば、やはり死です。
死ぬときに自分の人生を肯定的に捉えられるのならば、人生におけるあらゆる浮き沈みも、紆余曲折もすべて含めて幸せな人生だったと思える、ということになるのかもしれません。

それでは、どうすれば自分の人生を肯定的に捉えられるのでしょうか。
どんなことが起こっても未来の出来事によって解釈が変わるし、さらに未来の出来事によって再度解釈が変わるのかもしれない。
だとしたら、どの選択をしても、どの結果が訪れても、良いも悪いも善も悪もないと言えると思います。

そうして、私がたどり着いた答え。
「何が起こってもそれ自体に良し悪しはない。過去の自らの選択をただ肯定し続ければ、最期には人生は素晴らしかったと思える」

もしかしたら、これが幸せになるための方法の一つなのかもしれないと思ったという話です。
異論はもちろん認めます。感想聞かせてください。