弱虫ペダル55巻

昨年末にカーボンロードを買ってから、自転車にはまっている。

週末を中心に走行しながら、平日も効果的な練習をするべくスマートトレーナーの購入も検討中だが、それはまた別の機会で。

 

今回は、ロードバイクを始めたのをきっかけに読み始めた弱虫ペダルについて。

詳しい説明は省くが、読んでいる中で印象的な言葉があったので、それを記録しておく。
今回は55巻から。それまでにもいっぱいいい言葉があったのだが、記録し忘れてしまった。また読み返す機会にはしっかり記録したいが、取り急ぎ特に印象的な言葉が続いた55巻の内容を記録しておく。

 

1 俺だって期待されればもっと頑張るのにって思ってた。でもそれは間違いだった。考えれば当たり前のことだ。頑張らないと期待なんかされない。

 1年のときからインターハイに出場した同級生を当時羨んでいた3年主将が自分を振り返っての言葉。主将は努力家で、日々弛まぬ努力を重ねて出場した最後のインターハイでその才能の片鱗を見せつつあった。最終日の山岳賞手前、その諦めない走りに感動した観客が主将を応援し、期待するなかで、この言葉を回想するのであった。
 周りから期待されてないことを理由に頑張らないことを選択するなんて、ただの言い訳でしかない。スタートや経験、才能の差はあるかもしれないが、期待されている人はそれなりの理由がある。
もちろん、努力をする分野、方法こそは熟慮する必要があると思う。自分にとって必要のない分野で頑張って期待を獲得する必要はない。自分の選んだ道で、時には思うような結果が出ないようなときも、この言葉を思い出して努力を続けられる人間でありたい。

 

2 才能ってのは本当にややこしいヤツで、分かってるやつは最初から見えてて派手に飛ばすが、わかんねえやつはさんざん迷う。けど多分、最初からあんだよ。頭の上や背中んとこにひっついてて自分じゃ見つけられないだけなんだ。だから、才能てのは人から見つけてもらうのさ。
ただ、近くにいすぎるとこいつは分かりにくくなる。同じ方向向いちまうからな。時々会うやつ、ひょっこり現れたやつなんかがそれを一番見抜く。

 インターハイ最終日の山岳賞を狙う現主将を見て驚く元主将に投げかけられた言葉。元主将は現主将の一定の力を信じつつも、大きな才能はないものと考えていた。また、周囲のものも同様に考えていた。しかし、現主将の才能を信じ続けていたのが、中学生のころの引っ越しして離れ離れとなった同級生。彼はずっと現主将の才能を信じていた。
 これを読んで真っ先に浮かんだのはジョハリの窓。自己理解を分解して考えると、「自分が知る自分」と「他人が知る自分」に分けられる。自分を自分で理解することは大事だが、それも限界がある。自分が他者から同理解されているかを通して、より自分の可能性を見つける事ができるようになる。

 

3 ボロボロの状態のときに目の前に思いがけない道が開くときがある。「なんでこのボロボロのときに。今じゃなければ喜んで飛び込むのに」と一瞬思ったが、すぐ考え直した。違うんだよ、今だからだ。道が開いたのはボロボロになるまで頑張ったからだ。限界までやって、ギリギリまで覚悟決めて、そういうときにだけ次の扉が開くんだ。チャンスが巡ってくるんだ。

 チームのため、力を使い果たすような走りで前走するチームに追いた主将。そこに待っていたのは、中学時代ともに走った同級生だった。そこからインターハイ優勝に直結するかもしれない戦いが始まるのであった。
 チャンスの女神は前髪しかないという。チャンスがきたら、すぐにつかみにかからなくてはいけない。その時が万全の状態じゃなくても飛びつかなければいけない。むしろ、待っていてもチャンスが巡ってこないことを考えれば、万全じゃない状態のときに、不意に訪れるチャンスのほうが多いことだろう。チャンスが過ぎてから決断しても遅いのだ。